こんにちは。
トレーダーの「川合」と申します。
現在はトレードで収益をあげながら、
自らの手法を伝授するために全国を飛び回り、
そのかわたわら
インターネットを通じて情報発信をしたり、
教え子のサポートをしたりと、
非常に充実した毎日を送っています。
ときおり教え子から届く
「結果報告」や
「喜びの声」を見たり聞いたりすることは、
私にとって、何よりの生きがいとなっています。
しかし・・・
残念ながら昔から稼げていたわけではありません。
かつては株式投資で尋常ではない損失を出し、
無一文になった経験もしました。
もっと言ってしまうと2005年頃までは、
株取引とはまったく無縁の
「どこにでもいるサラリーマン」でした。
そんな私の投資キャリアをまとめた年表が
こちらになります。
ご覧の通り、
2005年から2012年までという長きにわたり、
私は稼げる手法を探し続ける
さすらいの
「ノウハウコレクター」でした。
今、思い返しても、
「稼ぐつもりがあったのか?」
と自分にツッコミを入れたくなるようなコレクターで、
稼げる手法を探して500万円を投じてきました。
そして2013年に、
ようやく今のやり方につながる投資手法に出会い、
大きく稼ぎ、
大きく失い、
そしてまた今、大きく稼いで復活したという、
ジェットコースターのような
アップダウンの激しい投資人生を歩んできました。
まさしく
「てっぺん」と
「どん底」を
存分に味わってきました。
そんな私がどのように3つの手法を見出し、
1年強で4,000万円の金融資産を築いたのか。
そんな私の自己紹介を改めてさせていただきます。
聞く側のあなたにとっては
心臓に悪い話かも知れません。
こんな転落経験談を聞いてしまえば、
「株式投資は怖い」と感じてしまう人も
きっといるでしょう。
正直に言うと、私自身、
あまり思い出したくない私の黒歴史です。
しかし、私のこれまでの人生を
赤裸々にお伝えすることが、
今の私があなたにできることですし、
少なからずあなたの役に立つと
信じていますので少しだけお付き合いください。
私は大学を卒業してソニーグループに入社しました。
入社した頃のソニーは非常に好調で、
当時のキャッチコピーは
「技術のソニー」、
そして
「It's a Sony」。
覚えてらっしゃる方も多いと思います。
私はソニーグループの一員として、
非常に誇らしい思いを持ちながら、
主に人事・総務の仕事をしていました。
2000年頃には、PS2、平面ブラウン管VEGAなど
ソニーブランドが人気で業績も絶好調。
しかし間もなくソニーの凋落が始まります。
これまでソニーがひとり勝ちをしてきた
音楽プレイヤーはAppleの台頭によって凌駕され、
他を圧倒していた平面ブラウン管は、
Sharpの液晶テレビ「亀山モデル」によって
もろくも崩れ去りました。
2003年頃より業績が厳しくなり売上も利益も低迷、
最高値が15,000円ほどあった株価が700円台、
つまり20分の1までに落ち込んでしまいました。
業績が低迷し続ける中で、
ソニーは当時としては珍しかった
「早期退職」を
社員に勧めるようになります。
私は人事の管理職の担当者として、
何年も社員の早期退職に携わってきました。
ソニーグループとは巨大な企業です。
しかし、ソニーの看板が外れると、
仮にその看板に寄りかかって生きている社員は、
とたんに「力」を失います。
「まだ子供が学校へ行っている」
「まだ家のローンが残っている」
退職することで目に見えない「力」を失い、
不安を抱える多くの社員を目の当たりにしてきました。
私は、そんな早期退職の最前線に立つ経験を通じて、
どれだけ強大な企業で働いていたとしても、
自分の立場が安定し続けることなどあり得ることはない。
そして「自分の力で生きる力」を
絶対に身に着けなくてはならないと
「強く」思うようになりました。
そんな思いを抱えていたからこそ、
私は2005年頃から投資の勉強を始めました。
しかし、投資の勉強を始めた当社は、
どのように勉強していいのかも分からず、
手当たり次第にインターネットを検索し、
手軽に稼げそうな方法を探し求め、買い続けました。
そうこうしているうちに、
投資教材やスクールに費やした金額は
8年ほどで500万円を超えました。
端から見ると、私は大変な
「ノウハウコレクター」だった思います。
しかし何をやっても稼ぐことはできず、
気づいた時には8年の月日が経っていました。
ですが私は諦めの悪い性分です。
それでも「自分で生きる力」を付けるために、
一生ものの稼げる投資手法を探し続けていました。
そして2013年。
私は「ある投資手法」に出会います。
その投資手法を自分なりに改良し、
必死で取り組む中で手応えを感じ、
私は少しずつ勝てるようになっていきました。
その手応えは本物でした。
トレードスタート時に200万円だった資金は、
2013年の年末には500万円になったのです。
それまでの苦労が報われた気がして、
本当に嬉しかったことを覚えています。
そして、この1年間の経験を通じて、
「自分で生きる力」が身に付いてきていることを
「実感」できるようになりました。
そんな折、
高齢になっていた親や親戚の介護のこともあり、
この機に会社を辞めて
専業トレーダーになることを決意しました。
2014年のことです。
当時のサラリーマン年収は、
ソニーグループの管理職でしたので
1,000万円をゆうに超えていました。
妻からは猛反対に遭いましたが、
妻を必死に説得して理解を得て、
大台を超えていたサラリーマンとしての年俸を蹴り、
専業トレーダーへの道を歩むことにしました。
専業トレーダーになって最初にしたことは、
マンションを借りて、
トレード専用ルームを作ることでした。
そこに自宅から毎日通い、
好きな投資の勉強とリアルトレードをする。
そしてお金が増えていく。
楽しくてしかたありませんでした。
トレードは好調そのもの。
独立を果たした「2014年」には、
年初資金の500万円を、
1,200万円にすることができ、
(+700万円の利益)
翌「2015年」には、
年初資金の1,200万円を、
3,000万円にすることができました。
(+1,800万円の利益)
まさしく絶頂期です。
毎日増え続ける資金を目の前にし、
なんだか信じられないような、
しかしそれが現実だということに気づくと、
自分はとてつもない「力」を持ってしまったと
誇らしくなってしまい、
毎日が嬉しくて楽しくて自信に満ちあふれて
幸せでしかたありませんでした。
ご存じの通り、私の手法を利用すれば、
トレードは午前中にも終わってしまいます。
午後からは完全にフリー。
専業トレーダーになった当初は、
なかなか「自由な午後の時間」に慣れませんでしたが、
それもほどなくして時間が解決してくれ、
サラリーマン時代にできなかったことを、
「やりまくり」ました。
お酒を飲みたくなったら昼間から飲み、
映画を観たくなれば映画館に行き、
お金を貯めてはふらりと海外へ足を運び、
眠くなったら昼間から寝ました。
フラリ酒、
ふらり映画、
フラリ旅行、
フラリ睡眠。
遊んでいるのにお金はどんどん増えていきます。
まさしく我が世の春。
堰を切ったように自由を謳歌しながら、
これまでの人生では経験できなかったことを
欲望のおもむくままにやり倒しました。
しかし、その状況も一転します。
2014年、2015年の2年間に
コツコツと貯めた3,000万円を、
一気に1億円までに増やしてしまおう
と、ふと思いついてしまったのです。
2016年1月のことです。
今思い返しても、
なぜそんな風なことを
思いついてしまったのかはわかりません。
恐らく、2年間で想像を超えた結果を出し、
「1億円くらい余裕で行けるだろう」
と過信し、天狗になっていたのだと思います。
昔の自分であれば、
こんなことは考えませんでした。
自分であって、
自分ではない。
完全に地に足が付いていませんでした。
こうして私は、
3,000万円を1億円にするために、
新たなやり方でトレードを始めてしまいます。
そこで私がやったのは、
これまでは明確に決めていた「投資額」を増やし、
大きな投資額でトレードをするということでした。
そうすると、相場は同じなのですが、
値の上げ下げによって動くお金は変わります。
それまでの冷静なトレードとは違い、
少しの値動きで一喜一憂し、
あろうことか確実な損切りを
することができなくなってしまいました。
具体的に言えば、
損切りラインを自分の都合で変えてしまったり、
酷いときは損切りを外してしまったりと、
ルールもへったくれもあったものではない
場当たり的なトレードを繰り返してしまいました。
一方で、投資額が大きいので手がすぼみ、
利を伸ばせず早めに利確をしてしまうなんてことも
たびたびありました。
こんなことを繰り返しているうちに、
資金はみるみる減っていきます。
そうすると今度は、減った資金を取り戻そうと、
無謀なトレードをしてしまいます。
完全に悪循環。
完全に機能不全。
そうこうしているうちに私は、
2016年の1月頭に3,000万円あった資金を
「すべて」失ってしまいました。
文字通りゼロ。
一文無しです。
しかも、3,000万円すべてを失ってしまったのは、
2016年の1月末のこと。
つまり、わずか1ヶ月間で、
私は「全財産」を溶かしてしまったのです。
すべてを失ったときの衝撃があまりに大きく、
これからどうやって生きていけばいいのか、
家のローン、
家族の生活費、
親や親戚の介護費、
トレードでお金を生み出そうとしても、
そもそもトレード資金がありません。
その苦しみで夜も眠れず、
何かしなければと思っても身体が動かない。
ベッドから起き上がることができず、
私は約1ヶ月間、
トレードルームのベッドの上で
悶々とした日々を過ごすこととなりました。
襲ってくるのは、絶望感と後悔。
そして家族への懺悔。
自業自得でした。
しかし苦しくて苦しくてしかたありませんでした。
そんなベッドでの苦悶の生活を送る中で、
私にある「キッカケ」が訪れます。
それは、Amazonでふと見つけた
『ある日突然40億円の借金を背負う
それでも人生はなんとかなる。』
という本。
この本は「湯澤剛」さんという方が、
父の急逝により家業と40億円という借金を受け継ぎ、
困難に立ち向かいながら復活したという
実話が描かれていました。
この本を読みながら、
「自分の失敗など大したことないのではないか、
いや、もう一度復活すればいいだけの話ではないか」
と思えるようになりました。
そうして私は1ヶ月ぶりに起き上がり、
外に出て太陽を浴びました。
そして、勇気を振り絞って、
妻にあらいざらいを告白することにしました。
そうです。
実は私は1ヶ月間、現実を直視せず、逃げ回り、
家にも帰らず、妻にも報告をせず、
ただうなだれていたのでした。
妻への告白の日。
私の話を聞いた妻は絶句し、
悲しみにくれ、
将来への不安を口にしました。
そして、妻の希望で妻の親や兄弟へも説明し、
呆れられながら叱られましたが、
何とか言葉を尽くして理解してもらい、
今後も応援するとの言葉ももらうことができました。
ただ、義理の兄から、
「だからソニーなんて辞めなきゃ良かったんだ」
という言葉をかけられたときには、
口にこそ出しませんでしたが、
「自分で生きる力を身に付けるために独立し、 トレーダーとして歩みを進む決断をしたのは 絶対に間違いではなかった。」
と心に感じたのを覚えています。
こうして家族への報告を終えた私ですが、
現実問題として生きていかなくてはなりません。
しかし一方で、一文無しではありましたが、
自らの手法には絶対的な自信があり、
「トレードで生きること」は、
まったく諦めていませんでした。
「自分の力」で生きることを決めている私は、
「もう一度トレーダーとして再起する」ために
私はある職業に就きました。
それが「タクシー運転手」でした。
タクシー運転手で生活を支えながら、
再起のためのトレードのタネ銭を作ることに
専念しようと考えたのです。
私の年齢は50歳を超えていました。
なぜ、タクシー運転手という職業を選択したのか。
その理由は、そもそも論として、
50歳を超えた人間を雇う会社は
なかなか見つからないという「現実」に
直面したという理由がひとつ。
そして、それとは別の理由なのですが、
事前の調査で、東京のタクシー運転手は、
ビックリするくらいに「収入」が良かった
という理由がもありました。
もちろん歩合制ですので、
何もやらなければお給料はいただけませんが、
月に50万円ほどであれば届きます。
幸いなことにタクシー会社に就職できた私は、
再度サラリーマンとして、必死に働きました。
タクシー運転手になって良かった理由は、
もうひとつありました。
それは「時間」を自由に使えるということ。
例えば、主な働き方は隔日勤務と言って、
1日働くと翌日は休みになるので、
その翌日を使って投資の勉強もできますし、
タネ銭があればリアルトレードもできます。
こうして私は、タクシー運転手をしながら、
「絶対的に自信のある」投資手法を
あのような大失敗は絶対にしないように
一から死ぬ気で見直しました。
そして再現性を高めるためにルールをシンプルにし、
収益性を高めるために手法の幅を広げ、
同時に安定性を高めることに成功しました。
その結果・・・
「2017年」の「後半」には、
「200万円」の資金を「1,000万円」にし、
(+800万円の利益)
「2018年」にはその「1,000万円」を、
「4,000万円」にすることに成功しました。
(+3,000万円の利益)
こうしてトレーダーとしての完全復活を果たし、
2018年にタクシー運転手を引退しました。
トレーダーとして復活すると、
とてもありがたいことに、
トレーダーとして復活した私の噂を聞きつけ、
あるいは近しい人からの紹介により、
「私に投資を教えて欲しい」
という人が集まるようになりました。
こんな嬉しいことはありません。
私の「3つの投資法」は、自分だけではなく、
どんな初心者でも利用できるよう
徹底的にシンプルにルール化しました。
このルールを紙に書いて教えたところ、
その紙をベースに取り組んでくれた皆が、
誰ひとりの脱落者も出さずに、
結果を出してくれました。
もちろん、
大きな利益を出した人もいましたし、
小さな利益を出した人もいました。
皆に共通することは、
皆が「確実に力が付いた」という事実でした。
このメンバーのほとんどが、
今でも私の手法で稼いでくれています。
そんな中、私の噂を聞きつけた
株式会社ソーシャルインベストメントの
山本社長から情報発信のお話をいただきました。
これまで、あなたにお話ししてきたような、
・私のジェットコースターのような「投資人生」
・その結果、確立するに至った
シンプルにルール化された「手法」
を、投資で苦しんでいる人に
共有して欲しいとのお話でした。
私が経験したことや苦しんだことが、
なかなか結果が出ない方や
自分の人生を切り開こうとしている方の
力になればこれほど嬉しいことはありません。
私の経験が役に立つのであれば喜んで!!
という思いでお受けし、今に至っています。
人生50歳を前にして始まった
私のジェットコースター投資人生を
お話しさせていただきました。
そんな私なのですが、
今回の話を受ける際に、
私があなたに、
私の手法を教える「価値」というものが
いったい何なのかを分析しました。
そこで見えてきた
「私があなたに教える価値」は
「2つ」ありました。
まず1つ目の価値は、
自分がどんな道を辿って
大失敗したのかを熟知している
ということです。
つまり、私には失敗のデータベースが
たくさん溜まっているので、
多くの人がつまずく場所を先回りして、
誰もつまずくことが無いよう、
平らな道に舗装しておくことができるわけです。
これが私の「手法」の
「シンプルなルール化」
につながっています。
そして、もう1つの価値は、
先程お話しした
2013年に私が出会った「ある投資手法」を
身に着ける「過程」で得た体験価値です。
実はその投資手法を
「共に学んだ仲間」が複数いたのですが、
「同じこと」を教えてもらっているにも関わらず、
そこには、稼げるようになった人間と
そうではない人間いたわけです。
なぜ、同じ手法なのに、
できる人とできない人がいるのだろうか。
これを徹底的に分析し、
私はひとりの脱落者も出さずに結果を出させる
「教え方」というものを構築するに至りました。
もちろん、行動をしなくては結果が出ません。
これは大前提です。
しかし、
「ちゃんとやったらちゃんと結果が出る」
という仕組み作りは、
これから私の手法にチャレンジしようとしている
あなたには絶対に必要であることを知っています。
私はあなたに、
必ず結果を出させることができる!!
と心の底から思っていますが、
その自信や自負は、
こうした私の経験から生まれたもので、
それこそが「私が教える価値」だと考えます。